2012/07/04(水) 08:16 - 3 組 大兼一夫 (男)
コザ高校二十八期生(昭和二十九年(午)、三十年(未)生)から成る、いつまでも青春を語り合う模合の会で、毎月第三土曜日夕方に同級生経営の喫茶店「ベネフィーク(沖縄市城前在)」と同期生が板長の鮨処「安寿司(諸見バス停前)」に交互に集まって早三十三年。現在のメンバーは、金城章会長を中心に男性のみ十六人。
当時のコザ高校は、家政科一組、二組と、三組から十三組までの普通科を併せて一学年五百八十人余が在籍し、校歌にも唱われている「秀麗の地に学徒一千」以上のマンモス校であった。
昭和四十八年三月卒の我が同期は、学生運動の余波、三島事件、コザ暴動、あさま山荘事件、日本復帰を眼のあたりにした現在五十七、八歳のシャイで硬派な面々である。
「ペンギン」名の由来は、二十代前半全員が独身だった頃にゴルフブームの最盛期であり、マンシングウェアのロゴマークから命名された。
笑い話を一つ、当時はブランドシャツは高価で、メンバーの一人が裁縫店にペンギンの刺繍を依頼、受け取ったらカタカナでペンギンと・・・笑。
一時期は、飛びたてないペンギン会と揶揄もされたが、今ではヤンバルクイナに負けじと校長、社長、企業の幹部メンバーとして沖縄県内を走り回っている。